ジャクソン・ポロック


SFMOMA, "Guardians of the Secret"


だいぶ前に、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)の75周年記念展示を見に行って、面白い絵と出会った。ジャクソン・ポロックの "Guardians of the Secret" だ。
ポロッアメリカの抽象表現主義を代表する画家で、その絵画法はキャンバスを寝かせてその上に絵の具を何色にも何層にも垂らして描くという独特なもの。50年代に画壇を賑わせたアクション・ペインティングと呼ばれる絵画運動の代表的な画家で、仲間としてはウィレム・デ・クーニングとかマーク・ロスコなどがいる。

"Guardians of the Secret" は、彼がその画法に行き着く以前の1945年頃に描かれたもので、SFMOMAはこの作品を当時たった500ドルで買ったと解説していた。今ではいくら位になるか見当もつかないらしい。かつて、ニューヨークの近代美術館(MOMA)でポロックの大作を何作か見ていたので、この作品はとりわけ興味深かった。


ポロックの作品は画集や写真などで見たことがあり、繊細でちょっと神経質な印象(写真上)を持っていたのだが、実際にMOMAで初めて見た時はその力強さに圧倒された。作品の大きさ(畳を横にして一畳半ぐらい)もあるかもしれないが、キャンバスの上で躍動する絵の具は生き生きと動いているようで、絵画というより幕末の侍が残した墨跡のよう。

墨痕淋漓という形容が似合う気合いが並外れ、同時に入念に重ねられた色の層には淡いピンクやブルーなどの都会的な洗練も感じられる。気迫と洗練の不思議なミスマッチがキャンバスの上で生き生きと躍動し、画集で見るのと本物がこれほど違うのかと、ポカンとしてしまった(写真下)。

彼の代表作は完全な抽象だが、"Guardians of the Secret"にはまだ具象のしっぽが残っている。画面の中心に完全な抽象への指向が認められる造形があり、その周辺にギリギリで具体性をもった人間や犬らしきものが描かれ、彼が自分の表現を模索していた様子がアリアリと見て取れる。MOMAでは、46年の "Shimmering Substance" も見ている。これは完全な抽象で彼らしい洗練された色使いが感じられるが、筆でキャンバスに描くという旧来のやり方で、独自の画法に到着するまであともう少し、という感じだ。



MOMA, "Shimmering Substance"


ポロックはどのように垂らし画法に行き着いたか。映画『ポロック 2人だけのアトリエ』(2000年)にその時の様子が描かれている。キャンバスを寝かせて描いているうちに、偶然絵の具がキャンバスの上に垂れて、それを見て「フム、オモシロいな」と思い、試しに垂らし始めたらどんどんオモシロくなって…ということだったようだ。つまり、偶然ということ。



写真クレジット:Sony Pictures

その時の彼はちょっと興奮していて、ウキウキしているように描かれていた。あれだけ試行錯誤をしたのだのだから、当然だろう。偶然を掴み、自らの画法として完成していくことが出来たのも、それまでの長い時間があったからこそだと思う。キャンバスに偶然絵の具が垂れた画家はポラックが初めてではないのだ。想像だが、彼が画法を模索していた時は、何かが見えそうでなかなか見えない状態だったのではないか。それが、垂れた絵の具をみて、見えない何かと繋がった。深い霧が晴れて、隠れていた風景がさーっと目の前に広がるような快感があったのではないだろうか。

映画の方もよく出来た作品で、実を言うとこの映画を観るまでポロックのことを知らなかった。以下は当時書いた映画紹介文の一部。

「『トゥルーマン・ショー』などの渋い演技で名優の風格が出てきたエド・ハリスが10年がかりで役作りをし、監督/主演(この役でアカデミー主演男優賞にノミネート)した会心の一作。
売れない貧しい画家時代、彼の才能を見抜いた画家仲間のリー・クラスナー(マルシア・ゲイ・ハーデン)は、ポロックを有名画商や裕福なコレクターと引き合わせていく。後に二人は結婚し共に画家として平和な生活を始め、ポロックは次第に絵筆を使わないアクションペインティングの画法を確立していく。
インスピレーションを待つ長い空白の時間、創作の躍動、焦燥、混乱など創造に向けて全身全霊を傾けるアーティストの実像に迫るハリスの演技が見どころ。また、夫の女癖酒癖の悪さにへき易となりながらも彼の才能を信じ、自身も最後まで画家であろうとした妻リーとの関係も丁寧に描かれ、定石通りのアーティストものを超える夫婦のドラマにもなっている。」


写真クレジット:Sony Pictures
「定石通りのアーティストものを超える」ところが本作の特徴で、とりわけクラスナーとポロックの関係がよく描けている。彼女は彼にとって最大の理解者であり、刺激的な画家仲間であり、率直な思いを彼にぶつける妻という立体感をもった女性として描かれている。ポロックが垂らし画法の作品を描き上げ、初めてクラスナーに見せるシーンで、彼女は作品をみて目を見張り「ついにやったわね」と熱い賛辞を送る。二人に説明はいらない、彼女は一目で彼の到達点の大きさを理解したのだ。

また、ポロックの作品を高く評価したアート・コレクターのベギー・グッゲンハイムを、エド・ハリスの実生活の妻エイミー・マディガンが演じている。グッゲンハイムはややエキセントリックなタイプとして描かれていて、たくさんの画家と浮き名を流したと言われる。彼女とポロックの間に何かあったかも、と思わせる場面があったように記憶する。脚本や撮影監督など女性スタッフで固めた製作背景で、クラスナーを演じたゲイ・ハーデンはとりわけ素晴らしく、この役でアカデミー賞助演女優賞を取っている。

夫婦で画家というと、妻が絵を諦めて夫に尽くすというパターンが多かったと思う。夫に尽くすのも女の一つの生き方だと思うが、クラスナーはポロックの死後もずっと作品を発表し続け、84年に76才で亡くなっている。

MOMAで66年の作品"Gaea"(横一畳半ぐらい)を見た。こういう言い方は好きではないが女性的な色使いの大胆で華やかな大作で、見ているとファーと光が顔に当たって、それが胸にまで広がる感じが気持ちの良い絵だった。彼女の作品もポロックと同じぐらい好きになってしまった。

MOMA, "Gaea"
ポロックは、ようやく有名になって作品が売れ出した矢先の56年に交通事故で亡くなっている。垂らし画法には到達したものの、その先が見えない。これだけ独特な画法だと何作も制作した後はマンネリ感もあったのではないか。いつも同じものばっかり描いていると批評されたかもしれない。次の展開が見えない苦しみが、酒浸りと浮気というお定まりの道に向かわせ、自殺に等しい事故死だったのではないだろうか。まだ44才だった。

サンフランシスコ近代美術館の英語公式サイト:http://www.sfmoma.org/
ニューヨーク近代美術館の英語公式サイト:http://www.moma.org/