崎陽軒のシュウマイ

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ここ何年も菜食を続けているので、もう食べることはなくなってしまったが、忘れらない美味しさとして私の中にあるものの一つに崎陽軒のシュウマイがある。あの味は、家族旅行で必ず起きた小さなドラマと共に、忘れることが出来ない。

まだ新幹線などができる前の昭和30年代、家族で東京駅から東海道線に乗り、下田や熱海、湯河原などに出かける時、横浜駅で両親が必ず買ってくれたのが、崎陽軒のシュウマイだった。あの頃は、美味しい中華料理やシュマイなどを食べられる機会はめったになかったので、シュウマイはご馳走中のご馳走、私は東京駅を出る頃から横浜に着くのが待ちどうしかった。
シュウマイは駅弁として売られていたので、入れ物は経木で出来た長方形の弁当箱の中にシュウマイが何列か並び、陶器の四角い小皿と顔が書かれたひょうたん型の小さな醤油入れ、そのそそぎ口には直径数ミリほどのコルクの栓が付いていた(写真参照)。あの小さなコルクを抜くのも、ご馳走の前奏曲としての楽しみであった。
横浜駅のホームで売り子が列車の窓に売りきていたが、停車時間は長くなく、前に買った人のお釣りなどを勘定しているうちに、発車ベルがなり出したりすると、私は気がきではなかった。買えない時は、本当にガッカリしたものだ。

ある時、父と母が何を思ったか、シュウマイを買うためにホームに出て行った。私はホームと反対側の4人がけのボックス席で弟と両親が戻るのを待っていたが、二人はなかなか戻らない。ホーム側の車窓を背伸びしながら覗き、不安になり始めた頃、ついに発車ベルが鳴り出した。ところが二人は戻らない。私の不安は高まるだけ高まった。そして、ついに列車がガッタンと動き出し、発車。私はホームを必死に見ながら、泣き出していた。
すると弁当箱やらお茶、冷凍みかんを持った両親が車窓の外に見えて、大きな身振り手振りで何やら叫んでいる。だが何を言っているかは意味不明。かすかに次の駅で降りて待て、と言っていたように聞こえたように思う。たぶん、近くにいた乗車客も私たちを心配して、次で降りて待ちなさい、と教えてくれたような気がする。私が盛大に泣いたので、車掌が来たような気もする。

その後、何がどうなったか覚えていない。たぶん、私と弟は旅行鞄と一緒にどこかの駅で降り、両親は次の列車で到着、という経緯だったと思うが、細部の記憶は飛んでいる。ただ、覚えているのは、どこかの駅のホームで崎陽軒のシュウマイを食べたことだ。お茶は冷めていた。

父は持参のウィスキーの小瓶を出し、楊枝でシューマイを食べていたように思う。父にとっても上等な酒の肴のだったのだろう、彼が旨そうにウイスキーを飲んでいる横顔を覚えている。
あのウイスキーは、サントリーの角の小瓶だったように思う。