母と父権制

去年の秋に母が逝った。介護施設で4年ほど過ごし、最後の年は認知症が始まって、私の顔も思い出せない状態だったが、あまり悲しいとは思わなかった。母の意識の中で、認知症が出る何年も前から私が消えていたことがわかっていたからだ。

私は海外で暮らして40年近くなるが、両親が存命中は年に2度ほど帰国して実家で過ごし、二人が施設に入った後は施設をよく訪ねた。だが、母の私への無関心はここ20年ほどでどんどん明確になり、私が施設に何度訪ねても、誰も会いにきてくれないと愚痴っていた。しかし、一昨年に父が逝った際、やはり海外にいる弟が数年ぶり帰国し、母を訪ねた時のことはよく覚えていて、弟しか訪ねてこないと言い張り、こないだ来てくれた時は嬉しかった、今度はいつくるのか、孫はいつ生まれるのかなどなど、弟の話ばかりをしたがった。

私は帰国するごとに、施設費の支払い状態の確認から毎回必要となる書類のサイン、相談員さんとの面談、預金等の管理、実家の管理などすべてを担ってきた訳だが、その認識も母からすっぽり抜けていた。それに気づいた時は随分と腹も立ち、悲しい気持ちも持ったが、よく考えると母はずっと弟しか見ていなかったのだ。彼の話によると、数年ぶりに母を訪ねた際、母は財産を全部彼に残してやるから遺言状を作ろうと持ちかけたという。この話にはさすが唖然となった。彼は相手にしなかったと言っており、溺愛と期待を一身に受ける苦労もあったのだろうと思う。

私が若かった頃を除いて、母は孫が欲しいという話を私にしたことがなかった。ところが、弟の子どもについては最後まで執拗にこだわっていた。このままでは、我が家の血が途絶えると嘆き、大変な執着を示していたのだ。

これがこそが私が体験した母の父権制、いや日本の父権制の実態だ。要するに女は無価値ということ、私はそれを母との関係を通してしっかりと体験させてもらった。

 

今、話題になっている元号に絡む男系のみが後継者という制度も、煮詰まるところ母の理屈と一緒。平たく言えば、血統を守るためには男の精子がタネとして唯一無二のものであり、女の卵と子を宿す子宮には価値なし、という論理だとおもう。これってすごく変じゃないか?

 ちょっとツッコミを入れたい。

男子から発射された数億という精子を、たった一個の卵子が受け入れて受精卵が生まれる訳だが、このメカニズムの美しさよ。たった一個の卵子精子を選ぶ力があるという方に、私は奇跡的、感動的な美があるように思えるのだが。しかも、男子は一発発射だが、女子はその奇跡の受精卵を9け月もの間、自らの子宮で育てる訳で、その間に食べるもの、聞いた音楽、感情的体験などなど、受精卵からから胎児へと変化していく過程で健康と教育も女子が担っているのだ。それを完全無視か?! ただの子産み道具、下手すればズタ袋扱いするってのは、ヒドクないか。受精卵は女子の遺伝子情報も一杯入っている訳だし、精子だけが純血の証明というのはかなり非科学的で、ただの屁理屈、無理強いじゃないのかとおもう。

 こんな屁理屈がまかり通ってきた唯一の理由は、男に子を産むことができないからだろう。だから、女を俺の女として家に囲い込んで、性関係を結んで子を産ませることで、自分の子であると後ずけ的に認識し、私有財産を継承させてきた。女は無価値であると同時に、女が流す経血を穢れたものとすることで、さらに劣等意識を植え込み、管理し、男子の血統という幻想を守ってきたのが父権制のコアだ。

今はDNA鑑定なんかあるから、誰が父親というのはすぐに分かるとしても、昔は女しか子供の父が誰かは分かっていなかった(もしくは女自身も解らないケースもあったろう)わけだから、男の血族の証なんてだだの幻想に過ぎなかったと思う。

 

で、ここでさらに一考察したのは、その幻想を私の母のように女たちが率先して守ってきた、ということへの驚きである。母は娘である私を無視することで、自分自身の性をも貶め、裏切ってきた。彼女たちの頑迷な父権信奉はどこから来たのだろう。

母は二人姉妹で男兄弟がいなかったこと、それも大きかったかもしれない。弟が生まれた時の、母の母である祖母の喜び方は大変なもので、彼女は弟を溺愛した。バチンコ大好き婆さんで、玉が入った日は景品のビスケットやチョコ、キャラメルなどを弟にすべて与えていた。私たちはおこずかい10円で駄菓子しか買えなかったのだが、弟が高価な森永キャラメルなど一人で食べているのを何度も目撃している。おかげで彼は虫歯と戦わねばならなかったわけだから、溺愛されるのも楽ではない。

母も祖母も戦前を生きてきた人なので、きっちりとした父権制で継続してきた元号を作る制度から大きな影響を受けたと思う。男にこそ価値あり、それはもう誰も否定できないドグマだったのではないだろうか。

それにしてもである、母や祖母の弟への溺愛と、娘である私への無関心ということを思うと、何か深く暗い穴を覗き込むような怖さがある。女の女への裏切り、これこそが父権制の最も醜い部分であり、女同士を無意味に争わせ、女を小さく、狭い場所に押し込めている刷り込みではないかと思う。

元号が変わり、祝賀パレードを沿道から見ようと、旗を持って駆けつけた多くの女性たちを見ていると、何を考えているのだろうと思う。女に価値はないという制度の象徴を祝賀するという無自覚に呆れるばかりだ。彼女らの多くは戦後生まれのはずで、なぜ?と思わずにはいられない。

 

母が最後まで心配した母方の家系はたぶん私で終わるだろう。Done, 断絶である。

家系を残すこと自体に何の意味があるかも分からないのだから、仕方あるまい。

こんな風にして、少しづつ父権制が崩壊してほしいという願いは強くある。