母と父権制2ー男のタネと女の穢れ

「母と父権制」を書いてから、ずっと考えていることがある。母そして祖母もなのだが、晩年になって夫を毛嫌いしていたということだ。あれだけ男子誕生をありがたがっていたのに、自分が選んだ男は露骨に尻の下どころか、下駄の下扱いだった。なぜだろう?

 母の場合は60歳を過ぎたあたりから、父の面前で悪口雑言を吐き、忌み嫌い、彼を遠ざけた。祖母の場合は同居しているのに完全無視。同じ食卓は絶対に囲まないという徹底ぶりだった。それぞれにきっかけや理由はあったのだろうが、夫婦のことは分からない。私が娘、孫として体験したことから考えてみようと思う。

 弟の誕生を喜び、血統の継続を喜んだ祖母と母が、晩年、夫への愛着も敬意のかけらすら見えない徹底した嫌悪を露わにした。かりに父権なり家父長を心底信奉していたのなら、形だけでも夫に仕えるポーズを取ったはずだ。自分らが選んだ男は期待した家父長とは似ても似つかぬ大外れ、ということだったのだろうか。

 確かに、男が男であるという理由だけで、一家の家長となって、一族の愛と尊敬を得ようというのは無理な話である。そういう男も万に一人ぐらいいたかもしれないが、ほとんどの家庭で男は、家父信奉に乗っかって、ハンパな家長を演じていただけではないだろうか。私の祖父も父も、母達から見れば、家長失格のダメ男だったのかもしれない。一体彼女達は彼らに何を期待していたのか。あれほど失望したからには、相当な期待があったはずだ。

 振り返ると祖母も母も、超のつくリアリストだった。母は特に貧しい暮らしの中から、立ち上がってきた人で、子供の頃から私に「手に職をつけろ、男に食わせて貰おうなどとアテにするな」と女の処世術を叩き込んだ。つまりは、ハナから家父長などは信じていなかったように思う。理由は不明だが、祖母を大きく裏切った祖父を見てきたから、という体験があったからかもしれない。

 

こうして考えていくと母達の父権制は無茶苦茶で、矛盾だらけだ。夫に失望し、まったく信じていなかったくせに、弟が残すべき血統は最後まで信じていた。要するに彼女らが信奉したのは、父権ではなく単なる男系の血、男のタネだった。このタネ優位信仰はしぶとく、同時にタネを持たない女は、男と比して劣っているという信仰へとつながっていたと思う。

 こんなことがあった。私が12歳の時、月経が始まり、月経の知識がまったくなった私は学校のトイレで血を見るというホラーに驚愕。保健室に駆け込み、泣きながら家に帰った。そんな私に対して、母は冷たかった。まず、自分が持っていた大人用の黒色生理パンツと脱脂綿を渡してくれただけで、どうすべきか何も教えず、たった一言「臭いから弟に近ずくな」。ガーン!

さらに、母と祖母から「早く色気付いて、ませた子だよ」と口汚く言われたことも、さらに私を追い詰めた。

「臭い」「色気づく」「ませた子」の烙印が12歳の少女にとってどれほどインパクトがあったか、想像してほしい。

この時、私は弟に負けたと思い、男に生まれなかったことを心底後悔したのだ。

 

月経を穢れ(けがれ)とする文化は日本に古くからあって、女が相撲の土俵に上がれないとか、寿司を握れないとか、天◯になれない、とかあれこれの制限を作ってきた。母は私の月経開始を穢れの始まり受け止め、自分と同じ劣勢の性の仲間入りをしたと感じたのではないだろうか。母のあの冷たさを思うと、彼女はそれをかすかに悲しんでくれたのではないか、と娘の私は想像したい。

女に生まれたことを最も後悔していたのは母だったのではないか。父より声が大きく、働き者で、機転が利き、強引で、自己中だった母は、男に生まれてこそその真価を発揮できた人だったように思う。だが女に生まれた故に穢れの烙印を負い、自己を抑えて生きねばならないと感じていた。そんな母の中には、決して満たされることのない大きな空洞があった。それは男のタネを育てる子宮という名の空洞であり、女であるというどうにもならない空洞だ。

女は父権制の価値観の中で、生まれながら自己蔑視を刻印されていたのだと思う。自分には穢れがあり、男より劣ると思い込まされることが、女にどれほどのダメージを与えてきたか、計り知れない。母が晩年になって、私をどんどん意識の中から消していったのも、期待をかけても無駄な劣勢の性だったからではないだろうか。そして父を憎んだのは、自分が得ることのなった特権を持ちながら、小さな野心しか持たなかったヘタレだったからではなかったか。自分の果たせない夢を託すしかなかった男が、期待以下の働きしかしなかったことへの憤り、母を思い出す時、この仮定こそが最もふさわしい気がする。

 

これだけ書いてくると、私の生きた時代は女の暗黒時代で、黒色生理パンツなんてサイテー、今は花柄ナプキンとピンクのタンポンの時代、女の穢れって何よ?と感じる人も多いのではないかと思う。確かに母や私が生きた昭和の時代は、日本が戦争と極貧を経験した時代で、母そして父たちも生き延びるために、金こそが自分たちを救うとガムシャラに働いた時代だったと思う。さらに言えば、私の祖母、母は共にエキセントリックなタイプで、盲目的な男のタネ信仰があったことは否定できない。同世代の女で祖母や母にたっぷりの愛と支援を受けて、自己蔑視とは無縁に生きた人たちがいただろうことも想像がつく。だが、システムとしての父権制は今でも厳然としてあり続けている。天◯のシステムがまさにその象徴だ。

老婆にしか見えなかった祖母が死んだ年齢より歳をとった自分が、今の日本の祖母、母、娘の関係を見渡そうとしても、日本にいなかった時間が長すぎて、よく分からない。女系の関係は少しは改善されたかのように見えるが、女の空洞は真に満たされたのだろうか。女であることが、昔とは別の形で女の人生を縛り、女の中心に大きな風穴を開けている気がする。そのことについては、また別の機会に考えてみたい。